コロナ禍で手にした一粒の砂金
コロナ禍で手にした一粒の砂金
■これまでと違う「日常」
「湯水のように使う」という言葉があります。本来の用法では、豊富にある物を惜し気もなく無駄に使う行為に対して用いられる表現ですが、現在進行形で私たちと密接に関わっているこのコロナ禍において気づいたのは、「私はこれまで湯水のように『日常』を使っていたのだ」ということです。
友人・知人と気軽に会うこと、息抜きとしてお酒を楽しむ場へ行くこと、季節の移ろいを肌で感じること、好きなミュージシャンのライブに行くこと(ちょいダサめのグッズTシャツを着たりなんかして)。ごく当たり前に享受してきたそんな「日常」が、今現在においては、叶えることが難しい状況になってしまいました。マスクの着用、こまめな手洗い、うがい、人との密集を避けるなど、感染予防のための習慣が、今では「日常」の一部に当たり前のように組み込まれています。
■パートナーとは、お互いに実家住まい
私には付き合って四年になるゲイのパートナーがいます。四月の緊急事態宣言が出された頃には、お互いが親と同居する実家暮らしの身であり、新型コロナウイルス感染者は高齢の方になるほど重症化傾向が高いことなどを鑑みて、しばらく会うことが出来ませんでした。しかしながら、現代はモバイルツールが発達していますから、簡単にコミュニケーションが取れることは幸いでした。
ただ、お互いの身を案じることしかできないという状況に、正直なところ私はむず痒いものも覚えました。地方都市において、普段からどこかしら人目を忍んでいるような自分たちの関係性が、いかに心許ないものであるか再認識させられたからです。このコロナ禍で手にしたそんな種々雑多な感慨が、川底から浚った一粒の砂金だとしたら、私はそれを忘れずに、いつか緩やかに復旧するであろう「日常」のときまで握っていなければなりません。
■事態の収束を願って
現在(2020年8月)においても、新型コロナウイルスの感染拡大は留まるところを知らず、全国規模での感染者が確認されています。医療崩壊を防ぐ為にも、私たちは現在行っている感染予防の習慣を継続して実施し、一日も早い事態の収束の一助となるよう、お互いに協力して参りましょう。
(地方都市在住 パートナーのいる20代のゲイ)